元外資系部長の副業サバイバルガイド(実践中)

副業を組み合わせたら何とか生きていけそうなので部長だったけど会社は辞めた 〜副業を武器として活用するススメ

【体験記】はじめての転職はなぜか外資系で年収が1.6倍になりました

こんにちは。副業専門家(副業生活者)のTommyです。

実はサラリーマン時代は自分から売り込んだり知り合いに誘われたり、で外資系ばかり5社ほど転職しました。

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ということで、副業はもちろんですが、転職のやり方、成功例や失敗例、知っておきたい小技なども少しずつご紹介できればと思います。

やはりキャリアップ、収入アップ、昇進、心機一転して活躍の幅を広げるなど、うまく転職戦略を立てて活動すれば、自分の人生を大きく好転させることができます。

まずは、もう20世紀末期の話ですが、最初の転職活動(ろくに英語もできないのに、なぜか外資にチャレンジ!)の体験について、聞いてください。

 

転職で年収アップと労働環境の改善を狙う

最初に入った会社は本や雑誌を出している技術系の出版社で、ドタドタしていて活気があり、またちょうどネット時代にも掛かったため、非常に面白かったです。

今なら信じられませんが、昔はタバコOKだったので、オフィスの中は煙もうもう、先輩たちの机は何本もの缶コーヒーの空き缶に灰皿は吸い殻が溢れていました。あー編集職だなあと思いました。

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ところがちょうどバブル崩壊直後で入社したため、業績は下がる一方。しかも会社はバブル期に高値で土地を買いまくっていたようで、その借金の支払いで本業は黒字なのに最終損益で赤字に転落し、さらにバブル期に部課長として採用した他企業でやさぐれていた人たちが、やはり当社でもやさぐれていてますます仕事が停滞し、入社から何年経っても収入が増えないままでした。

ちょうど当時付き合っていた彼女と結婚を考えていたこと(今の息子の母とは異なる人ですが)、深夜労働が続く不規則な労働環境にいったん区切りを付けたいと思っていたこと、また30歳近くなったのに、大手企業の新入社員と大差ない給与というのもつらいと考え、転職活動をすることにしました。

 

 

人材紹介会社のサイトから応募してみた

ちょうどインターネットの普及が始まったタイミングで、ネットにも人材紹介会社のサイトが出始めていました。またサーバやネットワーク機器、ネットの構築や運用などでニーズは急増していて、IT関連での求人は多く出ていました。

ある意味、米国発のITバブルでした。

ということで、あれこれネットで検索して、何となく聴いたことあるような外資系IT企業の名前が取引先としていくつも出ていたところに「転職コンサルティングを受けたい」とコンタクトしてみました。

ちょうど年始だったので、「今年はもっと給料の高いところに転職してA子と結婚する」とか目標をたててハイになっていたので、その勢いでフォームにいろいろ記載して送信したような気がします。

程なく事務の方からメールが来て、次の週の水曜(だったような?)夜7時にその会社に面談に行くことになりました。

ちょうど(それまでデジタル好きの玩具だった)インターネットが普通の人にも普及し始めたタイミングで、どのネット系企業も急成長で人手が欲しかったので、いいタイミングであったと思います。

英国人男性との英語での面談

いつもは夜10時くらいまで当たり前のようにオフィスにいるのですが、その日は「すみません、ちょっと学生時代の親しい友人と久々に会うんで」とか言って、早めにオフィスを出て地下鉄に乗りました。

さて、目的地の地下鉄の駅を出て少し歩きました。当時はGoogleマップなどないので、その会社のWebサイトにあったシンプルな地図をメモ帳に写していました。

地上に出て2分くらい歩くと、目的のビルが見つかりました。

上のフロアに上がり、入口にある案内の電話をかけると、程なくケニー・ロジャースアメリカの歌手)のような風貌の大柄な初老の白人男性が(あとで聞いたらイギリスから来たそうです)出てきました。

いきなり英語での面談になりました。

転職エージェントの世界など全然知らなかったので、これには焦りました。

実は英語ネイティブの人材コンサルタントとコミュニケーションできる=ビジネス英語は大丈夫という、外資系企業にとってのリトマス試験紙になっているようです。

この彼のような外国人キャリアコンサルタントもたくさんいますが、本当に日本語はできない人から、多少は分かる人、分からない振りしているけど、実はパッくんや厚切りジェイソン並みに日本語が上手くて漢字もかなり読み書きできます、なんて人もいてなかなか油断のならない世界です。

いちおう大学は英語教育に力を入れているところだったので、多少は訓練されてはいたし、妹がオーストラリアに留学していて(その後、永住)時折、現地で知り合った友人を家に連れてきていたので、多少は英語コミュニケーションも経験はありましたが、挨拶や中学英語の例文みたいな簡単なやり取り以外で、ガチで事務的な内容をやり取りするのは初めてです。

しかも(日本人に共通した弱みですが)聴き取りが難しく、相手が何を言っているのかほとんど分かりません。

Pardon?でもう一度言い直してもらった理、訊き返したり、何とかゆっくり話してもらったり、こちらも知っている限りの単語を組み合わせて自分の意思や希望を伝えました。

どの程度伝わったかは不明ですが。

とりあえずテクニカルライティングやドキュメンテーションのスキル、翻訳書を含む本や雑誌の編集の経験、マーケティングの経験があること、また将来的に発展しそうな会社、できれば本場アメリカの会社でIT関連の仕事をしたい、あと給与を増やしたいということを、知っている英単語を組み合わせて何とか必死で伝えました。

普通に英語の得意な人だったら30〜40分で済む内容だと思いますが、気が付いたら1時間20分過ぎていました。

最後に「お前の親しい友人を3人挙げてくれ」というので、仲のいい友人、世話になっている先輩などの名前を3人挙げました。

何か保証人とか必要なのかな、とちょっと焦りました。

ところがその英国人男性は、「彼らの連絡先は? 彼らは転職する気はあるか?」と聞いてきました。何てことはない、自分の案件や手持ちのカードを増やすのに、管理人の人脈を使おうとしただけでした。

なかなかちゃっかり者ですが、実際に名前を出してしまった先輩(近所なので世話になっていた)のところにはケニー(コードネーム)から連絡が来たそうで す。結局、その先輩は今も最初の会社にいますが。

初めての転職者向け採用面接

やがて3週間くらいして、その外国人から某そこそこ大手の米系ITベンダーでマニュアルや技術資料の企画・翻訳・制作をしている部門を受けてみないかと連絡が来ました。

春先のある日、うちから意外と遠くないその会社のオフィスまで行き、ずいぶんラフな格好をしたマネージャーと次長だという中年男性2名と話をしました。

自分の経歴やスキルには興味を持っていただいたようで、わりと話は弾み、幸い(圧迫面接などの)プレッシャーを懸けられることもなく、好感触で面談は終わりました。

その半月後くらいにもう一度、今度は先般の次長の方と部長という温厚そうな男性と面談しました。ここでも仕事の内容や期待する内容などを説明していただき、こちらもフィーリングも合ったようで違和感なく、好感触で話は進みました。

ところがそこからが一山あったのです。

外資系ならではの「本国の承認」待ち

3月中旬くらいに内定の意思を伝えられ、では4月いっぱいでその時の日系の会社を辞め、5月からオレも外資系だ、ああ英語勉強しないと、とか思っていました。

ところが、ある日、面談で2回会った次長さんから丁寧なメールをいただきました。

「ぜひTommyさんにいらしていただき、部門に新風を吹き込んでいただきたいのですが、まだヘッドカウント(部門の人数)増の承認が米国本社から下りていません。早めに来ていただきたいのは山々なのですが、どうにもなりません。今しばらくお待ちください」とのことでした。

その時の会社はわりと日系の「若手は奴隷」的なノリのところだったので、ご丁寧な対応に感激して、「これ以上の転職活動はせず、正式に内定をいただけるのをお待ちしております」と返答しました

朝は9時から夜は11時とか終電も辞さずの今考えればわりとブラックな環境でしたが、自分はもうじきここから脱出して収入も30%くらい上がり、人並みの生活をするようになれると思うと、何だか内心余裕が出てきて、わりとヒイヒイ言いながらこなしていた日々の業務も何だか上から目線で少し余裕を持ってやれていたような気がします。

やがて3ヶ月くらい待ちましたが、もう初夏になる頃、その会社から大きな封筒がうちに書留で届き、ようやく正式に内定をもらうことができました。

いわゆるOffer Letterというものです。ちなみにOffer Letterをもらうまでは正式な採用決定ではないので、周囲には黙っていることがキホンです。

給与を見て驚きました。面談の中で30%増しくらいの話だったのですが、別に住宅手当など手当が付くし、スタッフなんで残業代も出るとのことで、実質50%を超える収入アップでした。

当時の会社は、残業代は見なしで20時間分付いていましたが、基本給がそもそも低いし、締切前はそれこそ会社に泊まるのが当たり前みたいな環境だったので、こんな世界が世の中にあるのかとビックリしました。

ちなみにその次長さんからメールをもらった前後に、些細なことで喧嘩になり、A子とは別れてしまいました。

退職までの日々

その時の部長が大変素晴らしい方で(今でも兄貴分のような存在で、たまにやり取りがあるくらいです)、以前から『この会社にいても上がつかえている上に膨大な赤字で人件費は削られまくって昇給もほとんどなく先が見えている、もっと給与が増えるようなら転職するしかない』みたいな話を酒の席などでしていたので、理解はしていただけると思ってはいました。

上司や同僚が素晴らしい方で気持ちよく働ける環境というのも実は少ないので、これはこれで本当は大事にすべきなんでしょうけど、給与50〜60%アップと深夜残業や休日出勤がほとんどない労働環境には勝てず、ある日、メールでご相談したいことがある、と時間を取ってもらいました。

彼はすぐに察してくれたようで、「辞めちゃうの?」と寂しそうに話を切り出してくれました。

収入も上がるし、英語も学べて国際的な環境で仕事ができて、自分にとって大きなステップになると思っています、部長には本当によくしていただき、チームや仕事への不満は(給与と労働時間以外は)ないんですが、と伝えました。

その後、上のマーケティング担当のやや昭和滅私奉公型の執行役員のところで「引止めろ」とか「俺の組織を抜けることは許さん」とか少し一悶着あったらしいのですが、部長が上手くまとめてくださったようで、めでたく8月末日での退社が決まりました。

ちなみにこの執行役員も数年後に会社を去り、起業してニンテンドーDSなどのゲームソフト会社を作ってそれが当たり、すっかり今では社長さんで、そこそこよろしくやっているようです。

世話になった部長や仲間には不義理をしないよう、ほとんど有給休暇も取らず、自分の業務のマニュアルを作ったり、当時進めていたデータ分析関連の仕事はExcelフォームを作り込んで手早く集計作業ができるようにしたり、環境を整えました。

最後の日には人事の人から手続きの仕方などを説明してもらい、退職届フォームや社会保険関連の書類に記入し、社員証などを返却しました。

最終日もなぜか8時過ぎまで残業しましたが、最後に花束をもらって、8年世話になった最初の会社を去りました。

自分は結局有給はほとんど取りませんでしたが、「有給取るな、恩返ししろ」とか嫌がらせしてくるところは多いです。それでも、心身をしっかりリセットする意味でも、普通は退職の意思を示したら早めに引き継ぎをして有休消化モードに入り、心身をリセット&リフレッシュした方が断然いいと思います。

 

そして新天地へ

休む間もなく、翌朝は電車が遅れてもいいようにいつもより1時間早く家を出て、昨日までとは違う駅で乗り換えて、新しい会社に行きました。

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大きな会社だと、初日は人事部門の方からのオリエンテーションがあり、会社の歴史とかビジネス、組織、そしてビル内の設備と使い方の注意があるのですが、ここはそういうことはなく、直属の上司に迎えに来てもらい、いきなり席に案内されました。

最初に丁寧なメールをくれた次長さんに挨拶しようとしたのですが、マネージャーの方によると、「ああ●●さんは先月辞めました」とのことで、いきなり外資系の洗礼を受けた気がしました。

新卒で会社に入り、その後60歳まで40年近く働く、という重厚長大型日本企業とはなかなか異なる世界がそこにはありました。

オフィスも綺麗だし、隣りの部署(技術サポート系)では朝から電話で米国本社の担当と英語で何だかやり合っていて、電話を切ると「Johnの奴、こっちはお客さんのリクエストですぐ解決したいと言っているのに、『もう夕方だから明日時間があればやっておくよ』と切られてしまった」とかブツブツ文句を言っていました。

「すぐやれ」と言われたら、深夜残業してでもその日のうちにやるのが当然、みたいな会社にいたので、これはなかなかカルチャーショックでした。

しかし人間らしい生活ができる、とけっこううれしい気分になったのも覚えています。

また、しかも当時主流だったWindows 98や2000のパソコンをよく使っていたのに、この会社に入ったら、自社のUNIX端末を使っていました。

パソコン経由で使ってはいたものの、やはりハードウェアからして違うと戸惑いました。

とりあえず最初の3日は、マネージャーや先輩社員数名が交代でいろいろレクチャーしてくれました。

まとめの感想

自分で企画して作る技術書や、自由な娯楽系のコンテンツばかり作っていたベンチャー系の環境から考えると、何だかルールやプロセスがかっちり決まっている普通の会社に来てしまったと妙な気がしました。

転職先もシリコンバレーのIT企業なんで、それでもベンチャーではあったはずなのですが、米系はわりとルールを明文化して誰でも同じようにするとか、元の会社がベンチャー以下のだらしない社風だったとか、今思うといろいろな要因があるのですが。

世の中にはいろいろな会社があって、いろいろな社風や企業文化があって、いろいろな人がいる自分が思っているビジネス常識はある狭いエリアの特殊なものに過ぎないと思い知りました。

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このように多様な視点を持てたり、自分を相対化して見られると、新しい会社にもわりとスムーズに順応できると思います。

逆に「前の会社ではこうだった」とか「ああいうやり方は許せん」などと自分の狭い世界観固執してしまうと、いつまでも新しい組織に溶け込めず、そのうちまた人材紹介会社に再度登録することになります。

 

今考えると、英語もほとんどできないくせにシリコンバレーの会社に行くなど、かなり自分で自分に無茶振りしていますが、幸いインターネットが普及してきてちょうど初速が上がったタイミングであり、さらに辞めてしまった次長さんに、そこそこ気に入ってもらえたことで、ハッタリで大手グローバル企業に入れたような気がします。

そこから新しい組織風土を受け入れる体験や、けっこう大変だった英語修行などいろいろとありましたが、それらも適宜経験やその中での気付きも交え、各段階での要点や上達するためのアプローチについても、いずれ書いてみたいと思います。